お助け隊派遣要請行事一覧

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【飯塚市】綱分八幡宮神幸行事(令和7年10月18日・19日)

2025年10月18日 〜 2025年10月19日
  • 筑豊
  • 行事参加
綱分(つなわき)八幡宮神幸行事は郷土に継承されてきた伝統行事で、昭和35年に福岡県無形民俗文化財に指定され、2年に一度行われています。暦応年間(1338年→1341年)以来の神事といわれ、祭りも厳粛に執行させられたと伝えられています。放生会の儀礼に天下泰平、五穀豊穣の祈願が加わり、御神体が里の様子をご覧になりながら浮殿まで神幸する祭礼となりました。この神幸する際の行列は大名行列さながらで、多くの人が従事しています。他にも神楽や獅子舞、太鼓打ち、流鏑馬などが行われます。【10月18日(土)】16:00放生会祭典17:00神楽、太鼓打ち、獅子舞20:00御神幸(行列)お下り★20:30着輿、獅子舞【10月19日(日)】10:30太鼓打ち、獅子舞(本村)12:00太鼓打ち、獅子舞(安丸多賀神社)13:00御仮屋祭典、太鼓打ち、獅子舞13:30御神幸(行列)お上り★14:30神輿殿、太鼓打ち、獅子舞15:00流鏑馬16:00遷座、子ども相撲※「★」がついているところがお助け隊参加部分です。

【久留米市】北野天満神社神幸行事(北野くんち)(2025年10月)

2025年10月19日 〜 2025年10月19日
  • 筑後
  • 当日運営補助
  • 行事参加
北野くんちは、神様が神殿を離れ人々のもとを巡り歩く行事である。当日は、御神体を御輿にのせて、河童の化身である風流を先頭に、大名行列を模した奴隊が続き、行司・御神宝持ち等氏子をお供に従え、下宮までの参道約2kmを往復する。※昭和38年に福岡県無形民俗文化財に指定

【久留米市】柳瀬おくんち獅子舞(2025年10月12日)

2025年10月12日 〜 2025年10月12日
  • 筑後
  • 行事参加
「柳瀬おくんち獅子舞」は雌雄一対の獅子と赤と青の鬼が集落内を回る、久留米市の指定無形文化財です。舞子は、二人で一人が頭を、もう一人が胴と尻尾を操り、あたかも生きているような舞い方をします。集落内を一戸ずつ回り、厄払いの打ち込みをしていき、夜はお宮で奉納の獅子舞坪舞3番を納めます。

【飯塚市】大分八幡宮 放生会(2025年9月)

2025年9月28日 〜 2025年9月28日
  • 筑豊
  • ちから仕事
  • 当日運営補助
  • 行事参加
放生会として知られる秋の例大祭は、9月の最終土曜日と日曜日に斎行されています。土曜日に祭座・獅子舞を、日曜日は祭典・獅子舞・流鏑馬・餅まき・御神幸祭が執り行われています。八幡大神と縁の深い放生会は、もともと仏教の教えに基づくもので、魚や鳥など生き物を放つ法会に由来します。八幡宮では、養老4年(720)に宇佐にて、八幡大神の託宣による放生が行われたのがその始まりとされています。大分八幡宮で放生会が始まったのがいつかは定かではありませんが、宇佐神宮の創建された神亀2年(725)の翌年の神亀3年(726)が創建であることから、当初から放生会は執り行われていたと考えられています。また、記録としては昌泰3年(900)に太政官符により官幣に預かった際に、放生会が斎行されたと記されています。応仁の乱以降の衰退により放生会は途絶えますが、享保6年(1721)8月15日に復活しました。享保8年(1723)には「流鏑馬」が、その翌年の享保9年(1724)には村人が石清水八幡宮で習得してきた「獅子舞」が奉納され、享保15年(1730)には「御神幸祭」が再開され、神事祭事が整えられることとなりました。明治期の神仏分離の後しばらくは、「仲秋祭」と名を変えていましたが、現在は「放生会」に改められています。日曜日の御神幸祭で神霊が御乗りになられる神輿は、享保9年(1724)3月に、庄屋の伊佐甚九郎直友、伊佐市郎治直伝、伊佐藤五郎によって寄進されたことが墨書されています。また、放生会の中で奉納される獅子舞では、かすかに憂いを含みながらも賑やかな、笛と太鼓と銅拍子の囃子の調子の緩急に合わせ、二頭の獅子が一対となって舞い踊っています。享保の昔から変わらず受け継がれてきた獅子舞は、古式をよく伝え、筑前地方の他の獅子舞に与えた影響も大きいことから、福岡県指定無形民俗文化財となっています。(詳細については、大分八幡宮HP(https://www.daibu-hachiman.com/hojoe.html)をご確認ください。)

(募集終了)【香春町】ふるさと香春夏まつり盆踊り大会(2025年8月)

2025年8月15日 〜 2025年8月15日
  • 筑豊
  • 当日運営補助
  • 行事参加
※雨天順延の場合は翌日(16日)に開催されます。香春町の二大祭りの一つ「ふるさと香春夏まつり盆踊り大会」は毎年8月15日に開催される香春町の盆踊り大会です。香春盆踊りは香春町の指定無形文化財となっており、香春盆口説きや炭坑節を踊ります。町内外から多くの人が集まる祭りで例年、最後を花火で締めくくっています!香春盆口説きは「香春岳落城秘聞-清瀬姫恋物語」豊後の国大友宗麟によって、香春岳城が攻められ、水路を経たれて落城したときの物語です。古くから今日まで受け継がれるこの踊りは、櫓を中心に左まわりで踊る輪踊りでゆっくりとした調子で、手を腰から下げず、手の振りは大きく、しなやかで、足のさばきは、浴衣や腰巻のすそさばきの美しさを競います。年々失われつつある「盆踊りによる供養」の文化を守り次世代に繋げようと、上香春盆踊り保存会の皆さんが中心となり尽力されている伝統です。〈参考〉香春町観光ポータルサイトhttps://kawara-kankoh.com/event/

(募集終了)【飯塚市】飯塚市民祭 飯塚山笠(2025年7月)

2025年7月16日 〜 2025年7月20日
  • 筑豊
  • 当日運営補助
  • 行事参加
飯塚山笠は、曩祖八幡宮が江戸時代中期に疫病退散を願って実施したものが始まりとされています。明治時代以降は、毎年7月14・15日を「追い山」として開催しており、1963年に中断されましたが、その後青年会議所が中心となって「市民祭」として復活した、飯塚市を代表する行事です。2023年度はコロナによる中止以来、4年ぶりに開催され、舁き手・観客含め3万7千人が参加しました。メインイベントである7/20(日)の「市民祭飯塚山笠」では新流、二瀬流、西流、東流、菰田流の五流(チーム)が、それぞれが所持している山笠を担いでバスセンター周辺(2.2km)のコースを走るタイムレースで優勝を競います。25名程度が1つの班となり、リレー形式で1スパン(約80m)を交替しながら運搬していき、最も速くゴールした流れ(チーム)が優勝を手にすることができます!※詳細は「飯塚山笠振興会ホームページ」(http://iizukayamakasa.com/)をご覧ください。

(募集終了)【北九州市】小倉祇園祭 平松の神輿(2025年7月)

2025年7月19日 〜 2025年7月19日
  • 北九州
  • ちから仕事
  • 行事参加
(※今年は土曜日の開催です!)平松御神輿は、細川忠興が400年前(1618年)に小倉城を築城したときに八坂神社に奉納した御神輿であり、北九州市小倉北区平松町に江戸時代から代々受け継がれてきた、由緒ある御神輿です。小倉祇園では、大漁、五穀豊穣、無病息災、家内安全を祈願して、先祖代々受け継がれて来た口説き(くどき)に合わせて約100名が交代で担ぎ、太鼓競演会の露払いとして勇壮な練りを披露します。現在、平松御神輿は唯一の神輿として小倉祇園に参加し続けています。小倉祇園といえば現在は「太鼓山車」のイメージですが、平松御神輿は江戸~明治にかけて町方が行ってきた「廻り祇園」の形態を残しており、かつての廻り祇園の伝統文化を現在に継承している大変貴重な文化財です。平成22年には、北九州市の無形民俗文化財に指定されています。(参考)Youtubeで「平松神輿アーカイブ」で検索していただくと、行事の様子を動画で確認することができます!「平松御神輿祭実行委員会Youtube」

(募集終了)【糸田町】糸田祇園山笠(宮床行政区子ども山笠)(2025年5月)

2025年5月10日 〜 2025年5月11日
  • 筑豊
  • ちから仕事
  • 行事参加
300年以上続く伝統行事で、各地区が高さ最大で9m、重さ2トン以上の飾り山笠を担ぎ、町内を練り歩く勇壮な祭りです。1日目:15時より貴船神社にて神事(お祓い)を行い出発。18時前まで地域内を周回します。(20~30分おきに御旅所にて休憩あり)2日目:12時30分公民館にて出発の神事を行い、地域内を周回します。

(募集終了)【豊前市】古式春季神幸大祭(八屋祇園)(2025年4月)

2025年4月29日 〜 2025年5月1日
  • 北九州
  • ちから仕事
  • 行事参加
  • その他
3基の神輿に7台の山車(大舟、山鉾、踊車)が続き、地域氏子総出にて繰り広げられる壮大なお祭りです。4月29日には汐かき・町内巡幸、4月30日は「お下り(おくだり)」が行われ、お神様を御神輿で御旅所にお運びします。氏子地域各所をお神様が神幸することで、地域の安寧を祈るのです。御神輿は御旅所にて一夜を過ごされたのち、翌5月1日に大富神社へ戻ります。特に4月30日夕からは御神輿が御旅所に到着し、各山車がそれに引き続いて到着し始めるころ、祭りは最高潮に達し御旅所は多くの人で賑わいます。(参考)「八屋祇園公式HP」

(募集終了)【久留米市】大善寺玉垂宮の鬼夜(2025年1月)

2025年1月7日 〜 2025年1月7日
  • 筑後
  • ちから仕事
  • 行事参加
「大善寺玉垂宮の鬼夜」は、大晦日の夜から正月7日まで行われる「鬼会(オニエ)」の最終日に行われる行事で、1600年余りの伝統があり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国の重要無形民俗文化財に指定されています。日本一といわれる大松明6本が紅蓮の炎を上げて燃え盛り、それを数百人の裸の氏子若衆がカリマタで支えて境内を廻るという熱気あふれる勇敢な年頭の祭りです。この大松明の火をあびると無病息災といわれ、家内安全、災難消除、開運招福を祈願されるかたで賑わいます。1月4日午前中に大松明を作り、奉納します。(松明):長さ13メートル、頭部の径1メートル、重さ約1.2トン、6本◎祭りの流れ19:00頃境内参集19:30頃お汐井かき21:30頃大松明点火、鉾面神事、松明廻し22:00頃鬼の禊(汐井場での火消し)23:00頃行事終了

(募集終了)【飯塚市】大分八幡宮 放生会(2024年9月)

2024年9月29日 〜 2024年9月29日
  • 筑豊
  • ちから仕事
  • 当日運営補助
  • 行事参加
八幡大神と縁の深い放生会は、もともと仏教の教えに基づくもので、魚や鳥など生き物を放つ法会に由来します。八幡宮では、養老4年(720)に宇佐にて、八幡大神の託宣による放生が行われたのがその始まりとされています。大分八幡宮で放生会が始まったのがいつかは定かではありませんが、宇佐神宮の創建された神亀2年(725)の翌年の神亀3年(726)が創建であることから、当初から放生会は執り行われていたと考えられています。また、記録としては昌泰3年(900)に太政官符により官幣に預かった際に放生会が斎行されたと記されています。応仁の乱以降の衰退により放生会は途絶えますが、享保6年(1721)8月15日に復活。享保8年(1723)には流鏑馬。その翌年の享保9年(1724)には村人が石清水八幡宮で習得してきた獅子舞が奉納され、享保15年(1730)には御神幸祭が再開され、神事祭事が整えられることとなりました。明治期の神仏分離の後しばらくは、仲秋祭と名を変えていましたが、現在は放生会に改められています。日曜日の御神幸祭で神霊が御乗りになられる神輿は、享保9年(1724)3月に、庄屋の伊佐甚九郎直友、伊佐市郎治直伝、伊佐藤五郎によって寄進されたことが墨書されています。また、放生会の中で奉納される獅子舞は、筑前地方の他の獅子舞に与えた影響も大きいことから、福岡県指定無形民俗文化財となっています。

(募集終了)【香春町】香春盆踊り(2024年8月)

2024年8月15日 〜 2024年8月15日
  • 筑豊
  • 当日運営補助
  • 行事参加
香春町の二大祭りの一つ「ふるさと香春夏まつり盆踊り大会」は毎年8月15日に開催される香春町の盆踊り大会です。香春盆踊りは香春町の指定無形文化財となっており、香春盆口説きや炭坑節を踊ります。町内外から多くの人が集まる祭りで例年、花火で締めくくっています。香春盆口説きは「香春岳落城秘聞-清瀬姫恋物語」豊後の国大友宗麟によって、香春岳城が攻められ、水路を経たれて落城したときの物語である。古くから今日まで受け継がれるこの踊りは、櫓を中心に左まわりで踊る輪踊りでゆっくりとした調子で、手を腰から下げず、手の振りは大きく、しなやかで、足のさばきは、浴衣や腰巻のすそさばきの美しさを競います。〈参考〉香春町HPhttps://www.town.kawara.fukuoka.jp/s023/010/010/010/010/020/20220615163217.html

(募集終了)【福岡市】野芥櫛田神社の獅子舞(2024年7月)

2024年7月13日 〜 2024年7月13日
  • 福岡
  • 行事参加
福岡市に30箇所ほど伝わる「祓い獅子行事」のひとつで、福岡市登録無形民俗文化財になっています。祓い獅子行事は疫病が流行りやすい夏の時期に、特別な霊力を持つ獅子の力を借りて無病息災を願う人々によって伝えられてきました。「野芥櫛田神社の獅子舞」は「獅子舞」と呼ばれていますが、舞うことはなく、獅子頭を担いで町内の各家を廻ります。

(募集終了)【北九州市】小倉祇園祭 平松の神輿(2024年7月)

2024年7月21日 〜 2024年7月21日
  • 北九州
  • ちから仕事
  • 行事参加
平松御神輿は、細川忠興が400年前、1618年に小倉城を築城したときに八坂神社に奉納した御神輿であり、大変歴史のある御神輿で、平成22年に北九州市民俗文化財に指定されました。先祖代々受け継がれて来た口説き(くどき)に合わせて約100名が交代で担ぎねり歩きます。かつての廻り祇園の伝統文化を現在に継承している大変貴重な文化財です。大正から昭和にかけて、その「廻り祇園」が消滅し、祇園祭は「太鼓祇園」化していきましたが、平松御神輿は唯一の神輿として小倉祇園に参加し続けています。(参考)「平松御神輿祭実行委員会Youtube」

(募集終了)【飯塚市】飯塚市民祭 飯塚山笠(2024年7月)

2024年7月11日 〜 2024年7月15日
  • 筑豊
  • 行事参加
飯塚山笠は曩祖八幡宮が江戸時代中期に疫病退散を願って始まりとされ、明治時代以降は毎年7月14・15日を追い山として開催しており、1963年に中断される。その後青年会議所が中心となって、市民祭として復活する。メインイベントである7月15日の追い山では新、二瀬、西、東、菰田の五流によるタイムレースで優勝を競う。2023年度はコロナによる中止以来、4年ぶりに開催され、舁き手・観客含め3万7千人が参加。飯塚市を代表する行事。

(募集終了)【久留米市】柳瀬おくんち獅子舞(2024年10月)

2024年10月13日 〜 2024年10月13日
  • 筑後
  • 行事参加
「柳瀬おくんち獅子舞」は雌雄一対の獅子と赤と青の鬼が集落内を回る久留米市の指定無形文化財です。舞子は、二人で一人が頭を、もう一人が胴と尻尾を操り、あたかも生きているような舞い方をします。集落内を一戸ずつ回り、厄払いの打ち込みをしていき、夜はお宮で奉納の獅子舞坪舞3番を納めます。

(募集終了)【久留米市】北野天満神社神幸行事(北野くんち)(2024年10月)

2024年10月20日 〜 2024年10月20日
  • 筑後
  • 当日運営補助
  • 行事参加
北野くんちは、神様が神殿を離れ人々のもとを巡り歩く行事で、この日は、御神体を御輿に載せて、河童の化身である風流を先頭に、大名行列を模した奴隊が続き、行司・御神宝持ち等氏子をお供に従え、下宮までの参道約2kmを往復するものである。昭和38年に福岡県無形民俗文化財に指定されている。

(募集終了)【久留米市】大善寺玉垂宮の鬼夜(2024年1月)

2024年1月7日 〜 2024年1月7日
  • 筑後
  • ちから仕事
  • 行事参加
「大善寺玉垂宮の鬼夜」は、大晦日の夜から正月7日まで行われる「鬼会(オニエ)」の最終日に行われる行事で、1600年余りの伝統があり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国の重要無形民俗文化財に指定されています。日本一といわれる大松明6本が紅蓮の炎を上げて燃え盛り、それを数百人の裸の氏子若衆がカリマタで支えて境内を廻るという熱気あふれる勇敢な年頭の祭りです。この大松明の火をあびると無病息災といわれ、家内安全、災難消除、開運招福を祈願されるかたで賑わいます。1月4日午前中に大松明を作り、奉納します。(松明):長さ13メートル、頭部の径1メートル、重さ1.2トン、6本◎祭りの流れ19:00頃境内参集20:00頃お汐井かき21:30頃大松明点火、鉾面神事、松明廻し22:00頃鬼の禊(汐井場での火消し)23:00頃行事終了

(募集終了)【筑後市】熊野神社鬼の修正会(2024年1月)

2024年1月6日 〜 2024年1月6日
  • 筑後
  • ちから仕事
  • 行事参加
「追儺(ついな)祭(さい)」ともいわれ、約500年前に無病息災を祈願する火祭りとして始まった祭りです。修正会(しゅじょうえ)とは、毎年正月初めに仏に罪過をざんげして国の安泰や五穀豊穣などを祈る法会のことです。鬼の修生会は、坂東寺創建(延暦年中約1250年前)と同時に無病息災を祈願する火祭りとして始められ、鬼追いの儀式が今に伝わっています。(福岡県指定無形民俗文化財S44.10.20)行事は子供による「小松明(17:00~18:00)」、鬼の面をつけた宮司を追い立てる「鬼追い」、さらしとふんどし姿の氏子により行われる「大松明(21:00~22:30)」の3つで構成されています。16時になると360人程の子供たちが集まり、それぞれの小松明に火を灯して神殿を巡回し、21時頃になると締め込み姿の男衆が、燃え盛る3本の大松明(直径1.5m、長さ15m)を「刈又」と呼ばれる棒で支え、「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声で境内を巡回します。(参考)平成29年「熊野神社鬼の修正会~追儺祭(鬼夜)~」

(募集終了)【嘉麻市】お宮日(秋祭り)神楽奉納

2023年9月9日 〜 2023年10月19日
  • 筑豊
  • 事前準備
  • 行事参加
  • その他
江戸時代末期に、現在の飯塚市・桂川町・嘉麻市内の30数社の神職によって嘉穂神楽が立ち上げられ、域内の各地の神社で奉納されていました。上臼井日吉神社でも神主により嘉穂神楽の奉納が行われていました。明治時代になると、神職が減少し各神社のお祭りが同日に実施されるようになったため、次第に舞われなくなっていき、大正時代には他の神社では氏子も参加して神楽が舞われるようになりましたが、上臼井日吉神社では氏子には引き継がれず、神楽の奉納が途絶えていました。昭和28年に、氏子5名で上臼井日吉神社神楽座を組織し、桂川町の土師老松神社の神職による指導のもと、1年数か月の稽古行い、昭和31年に上臼井日吉神社で神楽が奉納され、それ以来、元旦祭などの節目の祭りでの神楽奉納や他神社での神楽奉納などを行っています。お宮日当日は最後に直会(なおらい:祭りの終了後に、神前に供えた御饌御酒を神職や参列者の方々で戴くこと)を行い、飲食をともにします。