
【久留米市】北野天満神社神幸行事(北野くんち)(2025年10月)
2025年10月19日 〜 2025年10月19日
- 筑後
- 秋
- 当日運営補助
- 行事参加
北野くんちは、神様が神殿を離れ人々のもとを巡り歩く行事である。当日は、御神体を御輿にのせて、河童の化身である風流を先頭に、大名行列を模した奴隊が続き、行司・御神宝持ち等氏子をお供に従え、下宮までの参道約2kmを往復する。※昭和38年に福岡県無形民俗文化財に指定

【飯塚市】大分八幡宮 放生会(2025年9月)
2025年9月28日 〜 2025年9月28日
- 筑豊
- 秋
- ちから仕事
- 当日運営補助
- 行事参加
放生会として知られる秋の例大祭は、9月の最終土曜日と日曜日に斎行されています。土曜日に祭座・獅子舞を、日曜日は祭典・獅子舞・流鏑馬・餅まき・御神幸祭が執り行われています。八幡大神と縁の深い放生会は、もともと仏教の教えに基づくもので、魚や鳥など生き物を放つ法会に由来します。八幡宮では、養老4年(720)に宇佐にて、八幡大神の託宣による放生が行われたのがその始まりとされています。大分八幡宮で放生会が始まったのがいつかは定かではありませんが、宇佐神宮の創建された神亀2年(725)の翌年の神亀3年(726)が創建であることから、当初から放生会は執り行われていたと考えられています。また、記録としては昌泰3年(900)に太政官符により官幣に預かった際に、放生会が斎行されたと記されています。応仁の乱以降の衰退により放生会は途絶えますが、享保6年(1721)8月15日に復活しました。享保8年(1723)には「流鏑馬」が、その翌年の享保9年(1724)には村人が石清水八幡宮で習得してきた「獅子舞」が奉納され、享保15年(1730)には「御神幸祭」が再開され、神事祭事が整えられることとなりました。明治期の神仏分離の後しばらくは、「仲秋祭」と名を変えていましたが、現在は「放生会」に改められています。日曜日の御神幸祭で神霊が御乗りになられる神輿は、享保9年(1724)3月に、庄屋の伊佐甚九郎直友、伊佐市郎治直伝、伊佐藤五郎によって寄進されたことが墨書されています。また、放生会の中で奉納される獅子舞では、かすかに憂いを含みながらも賑やかな、笛と太鼓と銅拍子の囃子の調子の緩急に合わせ、二頭の獅子が一対となって舞い踊っています。享保の昔から変わらず受け継がれてきた獅子舞は、古式をよく伝え、筑前地方の他の獅子舞に与えた影響も大きいことから、福岡県指定無形民俗文化財となっています。(詳細については、大分八幡宮HP(https://www.daibu-hachiman.com/hojoe.html)をご確認ください。)

(募集終了)【香春町】ふるさと香春夏まつり盆踊り大会(2025年8月)
2025年8月15日 〜 2025年8月15日
- 筑豊
- 夏
- 当日運営補助
- 行事参加
※雨天順延の場合は翌日(16日)に開催されます。香春町の二大祭りの一つ「ふるさと香春夏まつり盆踊り大会」は毎年8月15日に開催される香春町の盆踊り大会です。香春盆踊りは香春町の指定無形文化財となっており、香春盆口説きや炭坑節を踊ります。町内外から多くの人が集まる祭りで例年、最後を花火で締めくくっています!香春盆口説きは「香春岳落城秘聞-清瀬姫恋物語」豊後の国大友宗麟によって、香春岳城が攻められ、水路を経たれて落城したときの物語です。古くから今日まで受け継がれるこの踊りは、櫓を中心に左まわりで踊る輪踊りでゆっくりとした調子で、手を腰から下げず、手の振りは大きく、しなやかで、足のさばきは、浴衣や腰巻のすそさばきの美しさを競います。年々失われつつある「盆踊りによる供養」の文化を守り次世代に繋げようと、上香春盆踊り保存会の皆さんが中心となり尽力されている伝統です。〈参考〉香春町観光ポータルサイトhttps://kawara-kankoh.com/event/

(募集終了)【飯塚市】飯塚市民祭 飯塚山笠(2025年7月)
2025年7月16日 〜 2025年7月20日
- 筑豊
- 夏
- 当日運営補助
- 行事参加
飯塚山笠は、曩祖八幡宮が江戸時代中期に疫病退散を願って実施したものが始まりとされています。明治時代以降は、毎年7月14・15日を「追い山」として開催しており、1963年に中断されましたが、その後青年会議所が中心となって「市民祭」として復活した、飯塚市を代表する行事です。2023年度はコロナによる中止以来、4年ぶりに開催され、舁き手・観客含め3万7千人が参加しました。メインイベントである7/20(日)の「市民祭飯塚山笠」では新流、二瀬流、西流、東流、菰田流の五流(チーム)が、それぞれが所持している山笠を担いでバスセンター周辺(2.2km)のコースを走るタイムレースで優勝を競います。25名程度が1つの班となり、リレー形式で1スパン(約80m)を交替しながら運搬していき、最も速くゴールした流れ(チーム)が優勝を手にすることができます!※詳細は「飯塚山笠振興会ホームページ」(http://iizukayamakasa.com/)をご覧ください。

(募集終了)【田川市】風治八幡宮例大祭川渡り神幸祭(2025年5月)
2025年5月17日 〜 2025年5月18日
- 筑豊
- 春
- ちから仕事
- 企画調整
- 当日運営補助
その歴史は古く、永禄年間疫病流行の際に、氏子一同悪疫平癒を祈願し、御願成就の御礼として、山笠を建立し神幸祭に奉仕したことに始まると伝えられます。運行する神輿としては日本最大級の大神輿が、五色のバレンで飾り立てた十台余の幟山笠を引具して、彦山川の川瀬を練り渡る勇壮にして豪壮な一大神事です。山笠には何れも長い綱をつけて子供が曳き、舵棒や屋台には若衆が付き、いなせな采配振りが台上から号笛など吹いて彦山川の清流を押し渡り、祭り囃しは町内隈無く響き渡り、新緑に包まれた大川筋一帯を祭り一色に染め上げます。福岡県指定無形民俗文化財第一号に指定され、県五大祭りの一つに数えられる絢爛豪華な一大絵巻です。(参考)「風治八幡宮川渡り神幸祭2023PV~」

(募集終了)【飯塚市】大分八幡宮 放生会(2024年9月)
2024年9月29日 〜 2024年9月29日
- 筑豊
- 秋
- ちから仕事
- 当日運営補助
- 行事参加
八幡大神と縁の深い放生会は、もともと仏教の教えに基づくもので、魚や鳥など生き物を放つ法会に由来します。八幡宮では、養老4年(720)に宇佐にて、八幡大神の託宣による放生が行われたのがその始まりとされています。大分八幡宮で放生会が始まったのがいつかは定かではありませんが、宇佐神宮の創建された神亀2年(725)の翌年の神亀3年(726)が創建であることから、当初から放生会は執り行われていたと考えられています。また、記録としては昌泰3年(900)に太政官符により官幣に預かった際に放生会が斎行されたと記されています。応仁の乱以降の衰退により放生会は途絶えますが、享保6年(1721)8月15日に復活。享保8年(1723)には流鏑馬。その翌年の享保9年(1724)には村人が石清水八幡宮で習得してきた獅子舞が奉納され、享保15年(1730)には御神幸祭が再開され、神事祭事が整えられることとなりました。明治期の神仏分離の後しばらくは、仲秋祭と名を変えていましたが、現在は放生会に改められています。日曜日の御神幸祭で神霊が御乗りになられる神輿は、享保9年(1724)3月に、庄屋の伊佐甚九郎直友、伊佐市郎治直伝、伊佐藤五郎によって寄進されたことが墨書されています。また、放生会の中で奉納される獅子舞は、筑前地方の他の獅子舞に与えた影響も大きいことから、福岡県指定無形民俗文化財となっています。

(募集終了)【香春町】香春盆踊り(2024年8月)
2024年8月15日 〜 2024年8月15日
- 筑豊
- 夏
- 当日運営補助
- 行事参加
香春町の二大祭りの一つ「ふるさと香春夏まつり盆踊り大会」は毎年8月15日に開催される香春町の盆踊り大会です。香春盆踊りは香春町の指定無形文化財となっており、香春盆口説きや炭坑節を踊ります。町内外から多くの人が集まる祭りで例年、花火で締めくくっています。香春盆口説きは「香春岳落城秘聞-清瀬姫恋物語」豊後の国大友宗麟によって、香春岳城が攻められ、水路を経たれて落城したときの物語である。古くから今日まで受け継がれるこの踊りは、櫓を中心に左まわりで踊る輪踊りでゆっくりとした調子で、手を腰から下げず、手の振りは大きく、しなやかで、足のさばきは、浴衣や腰巻のすそさばきの美しさを競います。〈参考〉香春町HPhttps://www.town.kawara.fukuoka.jp/s023/010/010/010/010/020/20220615163217.html

(募集終了)【久留米市】北野天満神社神幸行事(北野くんち)(2024年10月)
2024年10月20日 〜 2024年10月20日
- 筑後
- 秋
- 当日運営補助
- 行事参加
北野くんちは、神様が神殿を離れ人々のもとを巡り歩く行事で、この日は、御神体を御輿に載せて、河童の化身である風流を先頭に、大名行列を模した奴隊が続き、行司・御神宝持ち等氏子をお供に従え、下宮までの参道約2kmを往復するものである。昭和38年に福岡県無形民俗文化財に指定されている。

(募集終了)【芦屋町】八朔の節句(2024年9月)
2024年5月8日 〜 2024年9月22日
- 北九州
- 夏
- ちから仕事
- 事前準備
- 当日運営補助
芦屋町では、約300年前から伝わる「八朔の節句」という伝統行事が今も続いています。この節句は、長男が生まれ、初めて迎える八朔(旧暦の8月1日。現在の9月1日)の時にわら馬(八朔の馬)を、長女の場合は団子雛(だごびーな)を飾り、わが子の健やかな成長を祈願する行事です。

(募集終了)【田川市】風治八幡宮例大祭川渡り神幸祭(2024年5月)
2024年5月18日 〜 2024年5月19日
- 筑豊
- 春
- ちから仕事
- 企画調整
- 当日運営補助
その歴史は古く、永禄年間疫病流行の際に、氏子一同悪疫平癒を祈願し、御願成就の御礼として、山笠を建立し神幸祭に奉仕したことに始まると伝えられます。運行する神輿としては日本最大級の大神輿が、五色のバレンで飾り立てた十台余の幟山笠を引具して、彦山川の川瀬を練り渡る勇壮にして豪壮な一大神事です。山笠には何れも長い綱をつけて子供が曳き、舵棒や屋台には若衆が付き、いなせな采配振りが台上から号笛など吹いて彦山川の清流を押し渡り、祭り囃しは町内隈無く響き渡り、新緑に包まれた大川筋一帯を祭り一色に染め上げます。福岡県指定無形民俗文化財第一号に指定され、県五大祭りの一つに数えられる絢爛豪華な一大絵巻です。(参考)「風治八幡宮川渡り神幸祭2023PV~」

(募集終了)【上毛町】松尾山のお田植祀(2024年4月)
2024年4月14日 〜 2024年4月14日
- 北九州
- 春
- ちから仕事
- 当日運営補助
八百年も前から続いている伝統行事で、一年間の稲作作業のすべてをまねて奉納しその年の豊作を祈る祭りです。松尾山のお田植祭は田行事として水留め(みずとめ)、畦塗り(あぜぬり)、田打ち(たうち)、代(しろ)かき、種子蒔き(たねまき)、田植え(たうえ)の6つの演目に、色衆楽(いろしのがく)とよばれる楽打ちを加えた7つの演目から構成されています。色衆楽は中世の田楽が起源と考えられます。横笛の囃子に合わせて、締太鼓やビンササラと呼ばれる拍子板を打ち鳴らしながら踊ります。近年、保存会により長刀舞(なぎなたのまい)と鉞舞(まさかりまい)とよばれる刀行事や獅子舞が復興され、往年の松会行事に近づきつつあります。長刀の舞は鎌倉時代から室町時代にかけて、武装していた山伏たちの主要であった長刀が、松会に使用され祭器となりました。長刀を振り回すことが魔物を払う意味を持つと言われ、天下泰平を祈ります。